浄法寺塗発祥の寺院 天台寺
奈良時代に創建したと伝承される東北有数の古刹、天台寺。およそ1200年前に、行基によって開山したと言われていますが、その歴史は未だ解明されていない部分も多く、謎を秘めた寺として語り継がれてきました。
現本堂は盛岡藩主の庇護の下、江戸時代の1658年に建立されたもの。本堂内の五間堂にある大型の厨子には、黒漆を基調に朱漆、そして各所に華麗な金の装飾を施され、仁王門とともに江戸時代前期の密教寺院建築として重要視されています。2013年から2020年にかけて、建立以来の大規模な修理が行われ、当時の姿が見事よみがえりました。
2021年11月9日に亡くなった作家で僧侶の瀬戸内寂聴師は、1987年から2005年まで天台寺の住職として荒廃していた寺の復興に尽力しました。就任した年からスタートした青空法話には、全国からたくさんの参拝者が集い、天台寺の復興を後押ししたそう。寂聴師が京都から株分けし、境内に植えたアジサイは年ごとに数を増やし、現在では約4千株以上になりました。毎年7月に見頃を迎え、訪れる人達の目を楽しませています。
浄法寺塗は、天台寺の僧侶によって作られていた寺の什器類が地域の人々の間に広まったものといわれていますが、確たる証拠はありません。しかし明治時代の1887年、天台寺がある浄法寺町で塗師として活動していた菅氏から浄法寺の戸長役場へ「塗師廃業届」が提出されており、少なくとも、明治20年までは、この地域で漆器がつくられていたことは確かなようです。寺院と漆との関わりは深く、本堂内の厨子をはじめ、鎌倉から室町時代につくられた8種10面の「舞楽面」や、南北朝時代の修理銘をもつ「二尺半長胴太鼓」、室町時代から流行したと言われているおみくじ「観音籤及び筒」、ケヤキ板に拭き漆を施した大絵馬「漆絵立花図」などの工芸品が残されています。
参拝と合わせて浄法寺歴史民俗資料館も訪れると、古来より繋がる浄法寺塗と天台寺の縁も知ることになるでしょう。
写真提供:二戸
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